2015年7月13日月曜日

進化論と信仰

最近では、ローマ法王も進化論を認めるようになりましたが、今でもキリスト教右派はその意見に与してはいないようです。

しかし、私は元々キリスト教徒ではありませんが、生物学関係の本を読むと、特定の宗教、というのではなく、もしかしたら神はあるのではないか、と思ってしまうことがあります。

文系の学部を出ていますが、大学受験では理科も受けなければならなかったので、浪人していた19歳まで、物理・化学・生物・地学の勉強はしていました。
結局化学・地学の組み合わせで受けましたが、一番苦手なのは生物でした。

不思議なもので、この歳になると、理科系の本を読むときはたいがい生物学系です。

「ネコはどうしてわがままか(日高敏隆・著)」「生物と無生物のあいだ(福岡伸一・著)」「昆虫はすごい(丸山宗利・著)」などが私のお勧めですが、 偶然の突然変異と自然淘汰で、生物が生きていゆくためのこれほどの精緻な仕組みができるものなのか、という疑問が湧いてきます。

いっそ、神が造った、という方が話が手っ取り早い、と思ってしまったりします。

話は変わりますが、「全能の神」という風には、考えません。
全能であれば、世界に様々な不都合はないはずです。

その点について、様々な神学上の論議があるのですが、私にはそれに触れるほどの学識も信仰もありませんので、避けて通ることにします。

ただ、「造物主」が「親」だと思えばどうでしょう。

正しく育ってほしいと思って導こうとしたけれど、様々な理由で子どもは、必ずしも導いた通りに育ってはくれません。
また、その指導自体が必ずしも正しいわけではありません。

造物主に創造の妙があったとしても、被造物はその後筋書き通りには生きていってくれない。

だからといって、「創造」を否定できるものではないのではないか。

なんとなく、遠回しな自己弁護のような気もしますが……。

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